告白 III (中公文庫)無料ダウンロードkindle
告白 III (中公文庫)
によって アウグスティヌス
4.5 5つ星のうち(6人の読者)
告白 III (中公文庫)無料ダウンロードkindle - 内容紹介 聖書は深淵である。『告白』最後の部分は、聖書の読み解きを通して叙述が進められていく。アウグスティヌスは天地創造をどう理解していたのか。キリスト、そして三位一体の意味とは。また、時間に関する考察は、後の哲学者に時間論の土台を提供した。訳者・山田晶による「教父アウグスティヌスと『告白』」とともに、人名・地名・事項索引を収録。 内容(「BOOK」データベースより) 聖書は深淵である。『告白』最後の部分は、聖書の読み解きを通して叙述が進められていく。アウグスティヌスは天地創造をどう理解していたのか。キリスト、そして三位一体の意味とは。また、時間に関する考察は、後の哲学者に時間論の土台を提供した。訳者・山田晶による「教父アウグスティヌスと『告白』」とともに、人名・地名・事項索引を収録。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) アウグスティヌス 354年、北アフリカのタガステに生まれ、430年、ヒッポ・レギウスで死去。初期キリスト教最大のラテン教父であり思想家。多情多感な生活を送り、マニ教を信奉していた。その後、ミラノで修辞学の教師をしていたときに、キリスト教に回心する。391年、ヒッポ・レギウスの司祭に、396年には、同司教となる 山田/晶 1922年(大正11年)宇都宮市生まれ。44年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。大阪市立大学助教授を経て、68年、京都大学文学部教授。85年より南山大学教授をつとめた。西洋中世哲学研究の第一人者であり、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの研究、翻訳などで知られる。2008年(平成20年)2月、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
告白 III (中公文庫)の詳細
本のタイトル : 告白 III (中公文庫)
作者 : アウグスティヌス
ISBN-10 : 4122059305
発売日 : 2014/3/20
カテゴリ : 本
ファイル名 : 告白-iii-中公文庫.pdf
ファイルサイズ : 24.95 (現在のサーバー速度は24.46 Mbpsです
以下は 告白 III (中公文庫) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
告白Ⅰ、告白Ⅱはわりとすらすら読めると思います。その感覚でこの告白Ⅲに突入したら、途端に難しかったです。でもなんとか注釈や解説の助けを借りて、わかったような気がするところまで来ました。1~10巻までがⅠ・Ⅱに収められています。9巻までが、マニ教にはまっていたころのこととか過去の自分についての部分で、10巻が現在の自分について語っています。そのようなストーリーのあるお話は、わりとすんなり入ってきました。ところが、このⅢ(11~13巻)に入ると、創世記の解釈となって(11巻はよく知られている「時間論」)、途端に文章の感じが違ってきます。この終わり3巻だけ読む人もいれば、10巻まで読む人もいるようです。そういう意味では、この文庫本の分け方は親切だと思います。このⅢの最後に山田晶先生(翻訳者)の解説があり、読後に読んだのですが、「あ~っ!」ってなることが多く、勉強になりました。例えば「告白」という語句の意味そのものについて、タイトルの付け方についてなどです。最後の3巻は、あまりにも流れが違いすぎるから、付け足しだと考える学者などいるそうです。しかし山田先生はそのような立場を取りません。この最後の3巻をもって『告白』の完成だと考えておられます。そもそも「告白(コンフェシオ:ただし本のタイトルはコンフェシオネスという複数形)」の意味は「ことがらをあるがままにみとめ、みとめたことを言葉によって言い表す」という語源を持つそうです。昔はこの本を『懺悔録』と訳すものがあったそうですが、Ⅰを読んでいて、懺悔というより、神に対する賛美になっていることにすぐに気が付きます。ざっくりいうと「罪を告白できるのは、もうその罪の中にはいない。それは神様のおかげだ」という感じの調子です。(罪の中にいれば、言い訳したり、その罪を隠そうとしたりするから、告白できるということは、もう悔い改めて神に救いを求めているところまで来ている…ということでしょうか。)となると「懺悔」というより「賛美」や「感謝」になります。これについて、山田先生は、何を告白するのかによって、意味が変わってくると考えておられます。「罪を告白」すれば懺悔だし、「神を告白」すれば賛美だし、「恵みを告白」すれば感謝になります。もちろん、ここで使われる「告白」の意味は、先に書いた「それに対してみとめたあるがままのことを、言葉で言い表す」ということです。その意味をきちんと押さえたうえで、『告白』を読まれるといいような気がします。ということは、解説を読んでから、本編を読むのも一つの手だということです。そう考えると、Ⅲは、時間のことや記憶のこと、天地創造のことや創造される前のことなど、自分がどこまでわかっていて、どこからがわからないのかを「告白」していると思って読めば、きわめて謙虚で、真面目で、いかに神を賛美し感謝しているのか、ということがじわじわと伝わってきます。注釈が巻末でなく、ページの終わりにその都度つけられているパターンの本です。それは、読むときのわずらわしさを半減する表記です。さらに、アウグスティヌスの文章が、聖書のどこの部分の引用であるかも、この注釈に書いてあります。最初は全体の意味を取るべく流して読みましたが、次読むときは、聖書片手に精読しようと思います。それから、山田先生はクリスチャンではないようです。私もそうですが。でも、西洋の文学や哲学を学ぶ上では、この本は大切な意味を持っていると思います。彼らのメンタリティを知ることができるとともに、どうも多くの哲学者がこの本から多くの影響を受けている痕跡が感じられるからです。すでに、カントがいうような「物自体」の記述がみられるし、デカルトの近代的自我の確立も、きっとこの本を読んで踏み台にして行っていると思われるし、9巻までの過去の自分が、願ってもいない悪をやってしまうなんて、フロイトかと思うような考えも出てきます。全集に収められているものは持っていました。それは分厚くて長年手を付けずにいましたが、今回は手軽に持ち運べる文庫サイズが出たということで、これは「こんどこそ読んでみてはどうだい?」と本が誘っているような気がして(もちろん気のせいかもしれませんが)、本屋で購入しました。でも3千円近くのお買い物なので、現物を見て買われるのもよいかと思います。500円もあれば、全集のバラ売りが古本屋で手に入るかもしれませんが、文庫の方が読みやすいし、持ち運びもよいし、おすすめいたします。各巻の章立てが2,3ページずつくらいですから(中にはちょっとだけ長いものもありますが)、短時間で区切ることができます。ですから、バッグにでも入れておいて、ちょっとした待ち時間や、何かの合間に読むには最適だと思います。
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